Treasure up in our memory -思い出- 仿古堂にて

先週の日本行は父の百箇日法要のためなれど、時を前後して広島の筆屋「仿古堂」、宮崎の「都城」そして青森の「弘前城」を巡ることにした。
「仿古堂」さんとは23年前、シアトルに教室を開いて以来のお付き合いである。しかし私が工房を訪ねるのは今回が初めてで、普段使っている黒軸の選定筆「良泰筆」を最初に作った時も、初めに試筆を送ってもらい、その後は電話でのやり取りでアメリカに居ながらにして注文した。今回はその「良泰筆」を改良すべく広島県熊野町に向かった。広島方面から筆の街熊野に入るやいなや「筆の駅」として最初に目にするのが「仿古堂」である。1階は店舗で多くの書道用筆、畫筆が販売されていた。しかし一番目についた場所には化粧筆があり、今では多くのメイクアップアーティストによって支持されていることをうかがい知ることとなる。2階は工房で多くの筆師さんが各々分担して作業していた。3階は仿古の間と呼ばれる書家・文化人の作品が展示された大広間である。そこでは筆ラベル(コピー)を集めたアルバムを自由に見ることができ、80年前のラベルから現代までのそれが整理されていた。ちなみに明石春浦先生の師、金子鷗亭先生の筆ラベルの直筆は1階に額装され展示されている。
その後、隣接する「筆の駅 仿古堂ギャラリー」で珈琲をいただいていると、丹羽さんがおもむろに折帖を取り出し、25年前に明石先生が書いたという頁を開いて見せてくれた。そこには墨竹に「壺中隠」と賛が入っていた。まさしく春浦先生の筆、「良いですねー」、「竹の曲がりと文字の揺れがシンクロしていますよ」などと私が説明すると「ほー、ほー」と喜んでくれた。落款部にも仿古堂さんへの為書がありますとお伝えした。ここで明石先生の書に出会うなんて思ってもいなかったので私はとても気分がよくなった。そんな私を見てか、丹羽さんは言った。「先生の右隣り、偶然にも空いているからあなた書きなさい」と。遠慮しなくていいからと奥様が墨を磨り始めた。あれから25年、多くの方がお見えになったであろうに明石先生の隣はずっと空白だったという。いづれ誰かが書くのならと、先生に怒られてもいいやと腹をくくって「不忘敬」と書かせてもらった。このことは今年最大の自慢話である。

作品ではなく、頼まれてそこにある筆と墨で書いたものには作品とは違うその時の空気が凝縮されていると思う。楽しそうに書かれた先生の字からその場の空気が感じられた。3枚目は「良泰筆」の作者、伝統工芸士の香川さん。

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